柿舞わす

このブログは、ひらう子のブログです。

絵が上手くなるには本当に「描きまくる」しかないのか

絵が上手くなりたい人は多いです。特に、アニメや漫画のファン界隈では、見るだけではなく自分でもイラストが描ける様になりたいという人がとても多いです。

ちょくちょく話題になる話なのですが、絵が上手くなりたい人が絵が上手い人に対して「どうやったら上手くなりますか?」と聞くと、「とにかく描きまくる」と返答するケースが多いといいます。しかし、この返答は、絵が上手くなりたい人からすると、あまり具体的な回答を得られた感じがしないものでしょう。それでは、実際、絵を描きまくる事で絵は上手くなるものなのでしょうか。


私の経験上、「とにかく描きまくる」というのは成長の上で確実に必要になります。私自身、絵に関しては得意分野と苦手分野の差が激しく、あまり自ら絵が上手いと公言するのははばかられるものの、少なくとも日本人を画力で並べ替えたときに上位数%に入るであろうという自信はあります。この段階に来るまでの私の経験から言えば、やはりある程度数をこなすことは絶対に必要ですし、今後さらに自在に絵を描けるようになる為にも、絵を描く回数は確実に必要になるであろうと考えています。

しかし、ただ闇雲に絵を描きまくっていて確実に絵が上手くなるかと言うと、かなり疑わしいと思っています。幼児期から没頭するように絵を描いている人のケースは別として*1、一定の年齢を越してから絵を習得する場合、「とにかく絵を描く」だけで「上手い絵描き」と言える領域に達するとは言いがたいです。ただ絵を描いているだけでは習得不可能な能力、もしくはそれだけでは矯正不可能な悪癖というものが誰しもある為、適切な指導なしに反復を重ねても、上達には限度があるのです。


闇雲な反復のみでは習得不可能な能力や悪癖と書きましたが、どういうことかと言いますと、人間は普段、さほど物をしっかりと見ておらず、訓練なしに描かれた絵には、認識違いや錯覚が色々と出てしまうのです。具体的な掘り下げは別の記事で行いたいと思いますが、ついつい斜めの線を手の動きやすい角度に傾けて描いてしまったり、全体をちゃんと見ずに細部だけ見てしまって、細かな狂いの積み重ねが全体のバランスを狂わせてしまったりといったことが誰しもあります。

きちんとした指導のもとで訓練すれば、絵の狂いを指摘して貰えますし、そのうち、自分の絵が狂っていることに気付く「観察力」が鍛えられていきます。ですので、多少お金が掛かっても、生徒の絵の狂いを指摘することの出来る指導のプロに教えを乞うのが一番効率的です。


それでは、何故絵の上手い人は「とにかく描きまくる」ようにアドバイスするのでしょうか。

これについては、自転車に例えると分かりやすいと思います。自転車に乗れる人が、一度も自転車に乗れたことの無い大人に対して、自転車練習の一言アドバイスをするなら、どんなアドバイスをするでしょうか。恐らくほとんどの人は、「勇気を出して何度も乗ってみる」というアドバイスをすることでしょう。その人が何故自転車に乗れないのかは、実際に自転車の練習をしているところを見なければ分かりません。もしその場を見てアドバイスするにしても、本当に効率的な上達を促せるような具体的な指導が出来る人は素人では稀でしょう。

つまり、画力の上げ方を問われた上手な人が、絵のアドバイスをしようにも、【指導相手が絵に関してどういう能力が欠けていてどういう悪癖があるか】が分からなければ、アドバイスのしようが無いのです。また、絵が上手い人だからといって、その人が他人の絵を見てその人の欠点を見つける能力を持っているとは限りません。絵が上手い人は、その人自身の絵の能力や欠点には向き合ってきていますが、他の人の絵の能力や欠点に向き合った経験はあまりありません。経験がない事をやってくれと言われても困りますし、それでもとりあえず何か言うよう乞われれば自らの成長過程の話をするしかありません。絵の上手い人が自身の絵の成長において印象に残っている行動は当然、掛けた時間の長い「絵を描く」という行動です。ですから「とにかく描きまくる」というアドバイスが自然と出てくるのです。


さて、そんな中で、実際に効率的に絵が上手くなりたい場合には結局どうすれば良いのでしょうか。

それは、適切な指導者に教えを請うことです。適切な指導者とは、「絵を描くのが上手い人」のことではありません。「絵を教えるのが上手い人」のことです。絵を教えるのが上手い人に教わるとはつまり、絵を指導する技能を持ち、出来ればその経験を何度も積んだ人に対して、適切な対価を払い指導してもらうということです。

生徒の弱点を見抜いて適切な指導を施すというのは、実は結構な労力や技術が必要なのです。日本は【絵を描く】という能力の社会的地位が非常に低い為に、絵の指導に対してお金を払う事に躊躇う人も多いと思いますが、明確な技術や労力が必要になる指導に対して、対価が必要になるのは自然なことです。「ちょっとしたアドバイスでいい」という人もいるとは思いますが、具体的な弱点の分からない人への「ちょっとしたアドバイス」といったら、それこそ「とにかく描きまくる」程度のアドバイスしか出てこないものなのです。

そういう条件で考えた場合、もっとも手軽なのはデッサン教室です。私がお世話になったデッサン教室は、美大に行く人の為の予備校の講師の方が、社会人向けに開いているものでした。予備校の講師となれば、多くの生徒に対して明確な成果を目指す指導を施した実績という面では、本当に理想的だと言えるでしょう。私は教室に通ったことで、絵に関する能力が全体的に大きく底上げされた実感があります。


近年は、絵描きの報酬が詐欺的に低いという話も良く聞きます。「絵を描く」という特殊技能が買い叩こうとする人の多さが、絵描きの界隈で社会問題として扱われているのです。

絵を描く能力は特殊技能です。そして、絵を指導する能力というのは、絵を描く能力とはまた別の特殊技能です。絵描きの買い叩きが問題だと叫ばれる世の中、絵を教えてもらうという事にも、より適切な対価と敬意が払われる世の中になることを願ってやみません。

*1:言語学習や音楽教育に関して、3歳までの訓練とそれ以降の訓練とでは技能の習得過程に大きな差があると言う話をよく聞きます。画力に関しても同様に、幼少期とそれ以降とで訓練の効果に大きな乖離が存在するのではないかと私は思っています。