柿舞わす

このブログは、ひらう子のブログです。

電車で席を譲らない時の心構え―快適さはタダでは確保できない

満員電車は辛いです。席の取り合いも辛いですし、席に座っている時も、譲らなければいけないのではとヤキモキし始めると、それがまた辛いです。

そんな満員電車ですが、席を譲らず座り続けるにあたって、無為に気を揉む事を避ける為の、若干経済学よりの話を書きます。


私は基本的に、満員電車で席を譲る事がほとんどありません。私はどうやら満員電車で人よりも体力を消耗してしまうようで、満員電車で立っているのが非常に辛いのです。具合が悪くなってから譲ってもらう位なら、空いている席には出来るだけ遠慮なく座る事にしています。そして、急病などで席をどうしても必要とする人が車内にいる時は別として、基本的には席は譲りません。

しかし、電車というのは「譲り合ってお掛けください」等とアナウンスがある通り、席を譲らないと中々居心地が悪い空気があります。席を譲らないと、まるで良心が欠如しているかのような視点を周囲から向けられそうで、席を取りづらいという人も多いことだと思います。


明らかに席が足りない状況で営業しているのは鉄道会社側ですので、鉄道会社が顧客に対して譲り合うよう訴えかけるのは若干無理があると、私自身は思っています。席が足りないならば、客に訴えかける前に席を増やす為の営業努力を行うべきです。とはいえ、満員電車に関して鉄道会社を責めても仕方がありません。鉄道会社は、そうそう簡単に運賃を上げられない中で、社員に給料を出せる分の儲けを出しながら、事故が起きないように営業を行っている訳です。鉄道会社がやむを得ず「良心」に訴えかける形で何とかしようとするのは自然な流れでしょう。

ただ、鉄道会社に事情があるのと同様、席を譲らない人には席を譲らない人の事情があります。席を譲らないこと自体は、誰かに責められるべき道義上の問題ではありません。あくまで、周囲からの視点の問題という事になります。


さて、席を譲らない事が経済に及ぼす影響を、少し広い視点で考えてみます。誰か一人が席に座ると、その後電車に乗り込む人は、座れる可能性が減ります。すると、その車両に乗り込む人たちにとって、その車両に乗り込んで得られる快適さの期待値は低下することになります。

車両に乗り込んで得られる快適さが低下する、つまり、車両が不快なものになると、どういったことが起こるでしょうか。その時、例えばもし、満員電車の急行列車よりも、普通列車の方が人に揉まれずに移動できるなら、敢えて普通電車を使う人が増えます。時間を少し掛ける代わりに、満員電車の不快を避けるという選択です。

例えばもし、別の路線が並行に走っていて、そちらの路線が比較的運賃が高い分混雑が少ないならば、空いている路線を選ぶ人が出てくることでしょう。その人は、運賃の差額を使って、確実な快適性を買ったと言えます。例えばもし、同じ経路をタクシーで行けるならばどうでしょう。その場合も、電車からタクシーに切り替える人が出てくる可能性が生まれます。電車移動をタクシーに切り替える差額で、席に確実に座って移動できる快適さを買っているのです。恐らく、電車同士の切り替えよりも、タクシーに切り替える方が、差額は大きいと思います。ただ、移動時の快適さに払える額も人によって違いますので、快適さの為にタクシーの差額を払う金銭的余裕のある人は、タクシーに乗る方が選ぶことでしょう。


そのようにして、別の路線を選ぶケースが増えると、お金持ちや時間の余裕のある人等、他の選択子をとりやすい人ほど満員電車以外を選択するということになります。結果、満員電車は若干緩和のされます。勿論、元々満員電車だった列車が他の交通手段よりも空くという事はそうそう起こりませんが、元々の不快さよりはましになる事でしょう。つまり、一人が席に座っることで、一時的にその車両が不快になっても、長期的視点で見れば、乗客各々が手段を選択する為、乗客全体の不快さの増加は緩衝されるという事になります。

それどころか、席を譲るかどうか迷う乗客の心労が減ることになれば、むしろ、席に座ることが全体の不快さを引き下げてしまう事すらあり得ます。さらに言えば、席に座ることが、僅かながら「満員電車という社会問題」の重大性を強め、交通に関する学術の発達を促し、最終的な解決の一助になる事もあり得ます。

その様に考えると、席を譲らないことが、社会の為になるという考え方も出来るのです。


勿論こんなのはあくまで理屈上の話で、人間どう動くか等は完璧に測れるものではなく、確実に正しい論理だとは言えません。

ただ、席を譲らるスタンスの人がいる以上、席を譲らないスタンスの人もいるというのは自然なことです。席を譲る人は、ある意味、優しくて余裕のある人だと言えると思います。しかし、席を譲らないスタンスでなければ本当に致命的に辛いという人は一定数います。そういう人は、自分が席を譲らないスタンスを取る事にやきもきするよりは、「座ることが社会の役に立つかもしれない」と思うのが良いのではないかと思います。


周囲からどんな目を向けられようと、「ある面では自分は良いことをしているのだ」と思えば、無駄に気を揉む事も減るのではないでしょうか。