人を雇う以上はリスクを背負うのが当たり前で
現代の日本において、大部分の人は誰かに雇われて仕事をしています。そして、多くの人が、より良い待遇で自分に合った仕事を出来る事を願って職場探しをしています。
さて、ここ最近、「仕事を辞めるなら代わりを探してこい」とバイトの人に要求したり、辞めたがる社員に「ここでやっていけないなら社会で通用しないぞ」と脅迫めいた事を言ったりする雇用者がいるという話をよく見かけます。雇用者は、雇い入れた人間に対しては研修を行ったり管理を行ったりと少なからず時間と手間を掛けていますので、そのコストが被雇用者の退職により水の泡になるとなれば、心中穏やかではないものでしょう。
しかし、そもそも掛けたコストが不都合に消失するというのはビジネスではよくあることです。寧ろ、そのリスクを背負い、リスクを最小限に引き下げることはビジネスの本質的要素です。ビジネスとは、リスクのある投資を行い利益を上げる事です。そういう意味では人を雇うという事は投資であって、そこにリスクが付きまとうのは当然のことではないでしょうか。
逆に被雇用者の立場で考えてみましょう。職探しというのは、当たり外れが大きいものです。もしもブラック企業に入ってしまうと精神的に抜け出せなり取り返しのつかない事になる可能性もありますし、ブラックとまでいかなくても日常的に理不尽な扱いを受ける職場は少なくないと思います。また、職場として問題が無かったとしても、仕事内容が思った以上に肌に合わないという事もあります。転職をせざるを得なくなった場合、雇用されている期間に給与が貰えていたにせよ、転職先を探したり生活の準備をやり直したりというのはかなりの負担です。
雇用者にとって、人を雇い入れる行為は大きなリスクを伴う投資であるのと同様、被雇用者にとっても、誰かに雇われるという行為はまた大きなリスクを伴う博打です。まず前提として法規上、退職に関して被雇用者がそれ以降、属していた組織の為の「お世話」をする必要はありません*1が、同時に道義上も、雇われて仕事が上手く行かず辞める事になったりという事を気に病む必要はないと思います。リスクを背負っている者同士なのですから、お互いのリスクの拡大に関して、相手を執拗に責めるのは筋が通りません。要は、雇った相手に逃げられたということは、人を雇うという博打で負けたという事です。
雇われた側は雇った側よりも普段から立場が低いことが多いので、辞める事に関して責められると、納得する以前に感情的に押し切られてしまうことが多いと思います。特に、仕事を辞めるという時には不安があるのが当たり前ですので、より、他者の言葉に影響されやすいタイミングです。
しかし、お互いにリスクを負って選択をした結果、お互いに勝負に負けたと捉えてみると、雇われた側ばかりが責められる筋合いはないのです。雇われた側は雇った側のペースに乗せられず、自分も自分の生活を守る為の勝負をしているという意識を強く持っておくべきなのでしょう。